私には3歳くらいの頃の記憶が、いくつか断片的に残っています。
その中でも一番古い記憶。
正確には『一番古いと思われる記憶』ですが。
それは、父親に行きつけのスナックに連れて行かれた記憶です。
最初の子供だったので物珍しくて、幼児の間は父親があちこち連れ回っていた模様。
カウンターがあって、薄暗いのに何かキラキラした部屋で
綺麗なお姉さんにオレンジジュースを出されました。
脚の付いたグラスなど当時家にはなかったので
それだけでテンションが上がり、はしゃいでいたように思います。
早々にジュースを飲みきってしまい、ストローでジュゴー…と吸っていたら
他のお客さんに
「船の汽笛みたいだねえ」
と言われ、調子に乗ってジュゴジュゴ吸っていた覚えもあります。
なぜこの記憶が一番古いと判断しているかといえば、父親が私を飲み屋に連れて行く時
着ていた丹前の合わせの部分に私を顔だけ出るようにして入れて
当時の愛車だったカブ(オートバイ)に乗って行く、というものだったからです。
私はもともと小柄な子供でしたが、丹前(たんぜん、ドテラともいう)の前の部分に
入れられるサイズとなると、さすがに3歳の初め頃までではないかと。
私は丹前に入っている記憶は皆無ですが、スナックには何度も連れて行かれていたらしく
父親は私がそこそこ大きくなるまで、この件を心温まるエピソードのように語りました。
母親も
「ああ、そんなんあったねえ」
と普通に相槌を打っていたので、当たり前のことのように思っていましたが…
思えば、50数年前は道交法がユルユルだったとはいえ
父は草履履きにノーヘルでバイクに乗っていましたし、帰りは普通に飲酒運転。
一歩間違えれば『火の鳥鳳凰編』の我王のような惨事になっていた可能性もあります。
そう考えると、ここまで命があるだけでも、ありがたいことなのかもしれないです。
ランキングに参加中です
応援していただけるととても励みになります
◆最後まで読んでくださって、ありがとうございました◆