両親が言うには、3歳の頃まではそれなりに可愛がられて過ごしていたらしい私ですが
そういった記憶は現在ほとんど残っていません。
ただ、七五三の三歳の時は袴をはかせられ、五月人形のような姿で写真に写っていたので
手を掛けてもらっていたのは間違いないようですが…憶えてはいないのです。
その代わり、よく記憶しているのは、上の弟が生まれることに関すること。
母親は弟達を病院ではなく地域の母子センターで出産しました。
上の弟が生まれる前に、何度もその母子センターに母親と2人で行ったのです。
センターの建物の前には柵があり、中には芝生とツツジなどの低木が植えられ
ちょっとした公園のような広さがあったけれど
『はいるな!』と書かれた小さい立て看板がありました。
でも、いつも行くたびに、同じ年頃の子が芝生に入って遊んでいるのです。
なまじ平仮名を覚えるのが早かったため
(芝生に入りたい、でも入るなって書いてある…)
などと毎回葛藤し、結局縁石のようなところに座って我慢していました。
そこに診察を終えた母親が戻ってきて、毎回帰り道で
「◯月になったら弟か妹が生まれるよ、もうじきお姉ちゃんになるねー」
と話しかけてくるので、毎月
(お姉ちゃんになるんだなー)と期待しながら自転車の後ろに乗っていました。
母親が出産して、弟と一緒に家に戻ってきたときのことは
かなりはっきり覚えています。
入院した母の代わりに、母方の祖母がうちに泊まり込みで、家事等をしてくれたのですが
当時私は偏食が激しく、祖母が買ってきた初めて見る銘柄のインスタントラーメンを
食べることができずに叱られました。
今では大抵のラーメンは大好きですが、晩御飯なんだから祖母ももう少しちゃんとした
メニューを作ってくれても良かったのではという気がします。
その時父親はどうしていたのかはっきり憶えていません。
家にいなかったので飲みに行っていたのでしょう。
だから祖母も手を抜いたのかも。
翌朝、しょんぼりしつつ母親の帰りを待っていると
「ただいまー」
の声と共に、母親と弟が帰宅しました。
母の腕に抱きかかえられた、新生児の弟を初めて見て
(おお、これが赤ちゃんか、やわやわそう!)
と感動したものです。
当時は3歳なりに、家族が増えることに対してとても期待感があったのでしょう。
しかし『家族が増える』というのは
両親との今の関係がそのままで、そこに弟が加わるのではありません。
弟が加わった瞬間に全てがリセットされて、これまでとは違う4人家族としての関係が
新たに構築されるのです。
それは当時の私には、考えも及ばないことでした。
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